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かつて「生きることは地獄だった」現在も そして未来も 恩が分からない朝鮮人 [反日]

~朝鮮日報~

日本植民地時代の朝鮮、生きることは地獄だった

*コミュニストの舞台と同じ空気が流れているようです
 
「結婚が何だ! 家が何だ! 苦労して農業やっても口にクモの巣がはるような世の中じゃないですか。いったいこの朝鮮で何をして生きていけっていうんですか? こんな地獄でもこのまま死ねなんて言われたくないでしょう」(演劇『切れ端』の青年サムジョのセリフ)

 

 テイクアウトのコーヒーカップを手に持ったままスマートフォンをいじり、「ヘル(hell=地獄)朝鮮」などと自分の国を地獄に例える現代の若者たちでも、舞台『切れ端』(ユ・チジン作、キム・チョルリ演出)を見れば、果たして本当の「ヘル朝鮮」とは何なのかを知ることができるだろう。希望などというものはまったく見えない日本植民地時代のすさまじい人生がそこにある。

 

 主人公ミョンソ一家は崩れかけた掘っ立て小屋で暮らしている。一家のあるじミョンソは病に倒れ、娘のグムニョは障害があるので、ミョンソの妻が畑を耕してやっとのことで生計を立てている。隣家のギョンソン一家は飢え死にしてはならないとコメを借りたが、返せなかったためにボロボロの家まで奪われ、物ごいと行商で食いつなぎ、寒い冬の夜も寝床がなく故郷を離れる。ミョンソの唯一の願いは、日本に出稼ぎに行った息子ミョンスが帰ってくることだったが、ミョンスは独立運動をして捕まり獄死、遺骨になって戻ってくる。

 

 リアリズム演劇の大家ユ・チジンが1932年に書いたこのデビュー作が国立劇団「近現代戯曲の再発見」シリーズの一つとして舞台によみがえった。現代の建物のようにシンプルにデザインされた舞台上で繰り広げられたキム・チョルリの演出は、家族を養う力のない一家のあるじや生活力の強い妻といった典型的な人物像を鋭く描写した。キム・ジョンウン(ミョンソの妻先役)、キム・ギョンホ(ギョンソン役)など国立劇団団員たちの演技の密度は高かった。

 

 最後のシーンで、すさまじさの極限状態の中、「兄さんの魂は私たちを見捨てないだろうから、ぐっとこらえて生きていこう」というグムニョの絶叫は、これ以上転落することのない人々が底辺から絞り出す荘厳な意志と同じだった。ここで原作にない、きちんとした服を着た男女が登場し、この状況そのものを関心なさそうに見つめるシーンが挿入されている。このシーンは作品の幅を広げてはいるものの、芝居のテーマがあいまいになるという悪い面も出てしまった。民族の受難と抵抗を語る悲劇が、突然貧富の格差という社会問題を描く作品に変わってしまったように見えた。

 

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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日本統治時代の朝鮮<wikipediaより>

三・一独立運動(1919年)以後、日中戦争に至るまでの期間は三・一運動や大正デモクラシーの影響などにより朝鮮総督府は従来の統治政策を修正し、言論や結社の自由が与えられたため、比較的自由な雰囲気の中で、朝鮮人による様々な民族運動が繰り広げられた。

朝鮮は日本統治以前は厳しい身分制度に支えられた専制政治が行われており、李氏朝鮮時代は独立協会などの団体が民主主義運動を行っていた。日本政府によって民主的選挙が導入されると、道議会議員の8割以上が朝鮮人となり、忠清南道知事は初代以下ほとんどが朝鮮人によって占められており、その他の道知事も同様であった。朝鮮文学の発展が見られ、大都市を中心に大衆文化の発展も見られた。満州国と接する北部国境地帯ではソビエト連邦の支援を受けた朝鮮独立を掲げる共産ゲリラと朝鮮総督府との散発的な戦闘も発生している。

日本は統治下に置いた朝鮮半島の開発に力を入れ、開発工事や運営の主な労働力を朝鮮人に求めることで雇用を創出した。これにより朝鮮人の海外への流失を抑制し日本本土への流入も抑え本土の失業率上昇や治安悪化をも防止しようとした。
1929年、カーネギー財団から朝鮮半島に派遣されたアメリカ人記者らは、「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。・・・また朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしていることは明らかである」などと、李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われているとの評価をしている。

因みに 南朝鮮の「朝日新聞」ともいわれている『東亜日報』によると この演劇の作者である
ユ・チジンは親日反民族糾明委員会により 「親日反民族行為者」にリストアップされています 2009年の事みたいなので その後扱いが変わったのかもわかりませんが 何とも 訳の分からん国です 記事は以下の通り

~東亜日報~
社会
親日反民族糾明委、「親日行為1005人」リスト公開
NOVEMBER 28, 2009 09:08
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親日反民族行為真相糾明委(反民糾明委)が、4年6ヵ月間の活動を終え、「親日反民族行為者」1005人のリストを公開したことで、リストに収録された人物の子孫が強く反発する公正性をめぐり論争が起こっている。

 

反民糾明委は27日、ソウル鍾路区瑞麟洞(チョンノク・ソリンドン)にある清渓(チョンゲ)イレブンビルの委員会事務所で、「親日反民族行為真相糾明報告書」を発表し、調査対象第3期(1937年日中戦争開戦~1945年光復)に該当する親日反民族行為者550人を含む704人、計1005人のリストを公開した。委員会は、06年の調査対象第1期(1904年日露戦争~1919年3・1運動)と07年の調査対象第2期(1919年3・1運動~1937年日中戦争)の親日反民族行為者、それぞれ106人、195人のリストを公開している。今回発表された704人は、調査対象第3期で新たに追加され、第1、2期の発表時の調査の不備などで収録されなかった人物が追加されたリストだ。

 

調査対象第3期は、親日反民族行為者に選ばれた人物が多いだけでなく、教育、学術、芸術、言論などの各分野の著名人が大挙含まれている。

 

リストには、方應謨(パン・ウンモ)雑誌「朝光(チョグァン)」編集者、白楽濬(ペク・ナクチュン)元延喜(ヨンヒ)専門学校校長、金活蘭(キム・ファルラン)元梨花(イファ)女子大学総長、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)、崔南善(チェ・ナムソン)、兪鎮午(ユ・ジンオ)、盧基南(ノ・ギナム)天主教大主教、詩人の徐廷柱(ソ・ジョンジュ)、柳致環(ユ・チファン)、劇作家の柳致眞(ユ・チジン)、画家の金基昶(キム・ギチャン)、李象範(イ・サンボム)、作曲家の玄済明(ヒョン・ジェミョン)、国史学者の李丙燾(イ・ビョンド)、初代陸軍参謀総長の李應俊(イ・ウンジュン)、普成(ポソン)専門学校校長の金性洙(キム・ソンス)らがいる。

 

朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領、張志淵(チャン・ジヨン)毎日申報主筆、張勉(チャン・ミョン)元首相らは、資料不足と遺族の異議申し立てが受け入れられたという理由で、リストに含まれなかった。子孫が裁判所に提起した仮処分申請が受け入れられた作曲家の洪蘭坡(ホン・ナンパ)も、最終でリストから除去された。



***


誇れる民族の叙事詩が無いことを 痛いほど知っているから
史実をまともに受け入れることができない


自らに誠意が無いから 他人の恩義を理解さえできない

品性どころか人性も疑わしいこんな民族相手に



我が安倍首相は

わざわざ出向いてまで 協議する必要があるのでしょうか?




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タグ:特亜
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