SSブログ

南シナ海問題 仲裁裁判判決 中国が全面敗訴 歴史の教訓 [国防]

豊島沖海戦.png

2016
712日 オランダ ハーグの仲裁裁判所は、
南シナ海において、支那中共が主張している「九段線」には
歴史的・法的な根拠なく、

支那中共が実効支配している岩礁は、
単なる「岩」もしくは「低潮高地」に過ぎず、
EEZは認められないとの判決を下し、
支那中共が全面敗北するという結果に終わりました。


今後、予測される軍事衝突に備えるには、
歴史に学ぶしかありません。





スポンサーリンク











  今回の判決は、我々日本人にすれば、
  というか、まともな感覚があれば、
  支那中共の横車は明らかなわけで、
  支那中共人にしても十分承知の上です。

  そこを敢えて無理押ししてくるのは、
  南シナ海を支配下に置きたい特段の事情があるわけで、
  その事情がなくならない限り、
  つまり支那中共が崩壊でもしない限り、
  現在の彼の国の高圧的な姿勢は続きます。

 

南シナ海が支那中共の完全支配下に入ってしまえば、
周辺国の漁業資源が奪われるだけでなく、
我が国にとっても(たぶん韓国にとっても)、
重要な海上輸送路に影響が生じるわけで、

自民党の
野田聖子議員のような
国籍を疑うような発言を恥じない人物は別として、
今後、東シナ海情勢と併せて、
注視しなければならない事態です。

支那中共の傍若無人ぶりは、
既に世界中に知れ渡りつつあります。

いざ「軍事衝突」となった時に、
彼の国がどんな対応を示すのか、
日清戦争時の支那兵の戦いぶりを振り返ります。

 

■日清の衝突

122
年前の725
朝鮮半島西岸の豊島(ほうとう)沖で
日本艦隊(3隻)と
清国艦隊(2隻、のち2隻を加え計4隻)が遭遇、

日清戦争の戦端を切る「豊島沖海戦」が始まりました。

 

この時の東アジア情勢をみると、
まず、北の大国ロシアは、
ヨーロッパ方面での南下策に失敗し、
国の東方、沿海州から朝鮮半島をうかがう
姿勢を見せています。

清国はイギリスに「アヘン戦争」で敗れ、
香港の租借とその他の開港を許し、
フランスにはベトナムを奪われる負け戦続きで、

今度は長年の冊封国である朝鮮に、
新興国日本と大国ロシアが
食指を伸ばし始めていることに脅威を感じています。

日本は、何とか自存の道を歩むべく
殖産と軍備の増強に努めながら、
大陸からの侵攻圧力を緩衝するため、
朝鮮を開国させようとしますが、

先の「甲申政変」では、多勢に無勢とはいえ、
結局、陸戦で清国に敗れ、
海軍力でも「定遠」など
最新鋭戦艦を有する北洋艦隊には敵わないと感じています。

しかし、甲申政変と
清国兵が長崎で警官らを殺傷した「長崎事件」で
日本国民の反清感情は高まり、

日本国としても朝鮮開国の必要性から、
清国との一戦を決意し最後通牒を突き付け、
日清間はいつ戦端が開かれても
おかしくない戦争状態にありました。

 豊島沖海戦.png

豊国沖海戦は午前8時前、
清国の「済遠」の砲撃で始まりました。

日本側は「吉野」が応戦、
さらに「秋津洲」「浪速」も続いたため
形勢不利と見た済遠は、
白旗と日本軍艦旗を掲げ、降伏の意志を示します。

ところが、日本艦隊が、残る一隻(「広乙」)や
後に清国艦隊に合流した2隻(「操江」、「高陞号」
に対応している間に、

済遠は逃走を図り、
時に追撃する日本艦に砲撃したり、
再び降伏の白旗を掲げてみたりしながら、
遂には逃げおおせてしまいます。

己の目的を達成するためなら、
もちろん国際法などは無視して、
形振り構わず突き進むというのが、
支那人の行動パターンです。

高陞号撃沈の場面を描いた絵.png

この海戦では、
清国にチャーターされ陸兵を輸送していた
英国船籍の商船が日本艦により撃沈された
「高陞号事件」が起き、
一時、日英間で物議を醸しましたが、

日本側の当事者である
「浪速」艦長 東郷平八郎大佐の国際法に則った対応に
一点の瑕疵もないことが認められ、
日本の評価が高まったことに反し、

清国が条約に背いて
兵員と武器を輸送していたことが公になったことで、
清国が侵略者であるというイメージを
拡散してしまうことになりました。

なお、この海戦における日本側の被害は皆無で、
清国側は「済遠」が大破、「広乙」と「高陞号」は撃沈、
「操江」は鹵獲されました。

 


スポンサーリンク












 

■海上覇権の帰趨を決した「黄海海戦」

豊国沖海戦の2か月後に、
日本海軍聯合艦隊と清国海軍北洋艦隊が
「黄海海戦」で相見えました。

すでに多くの戦記で語られているところですが、
艦隊規模では劣る日本海軍の聯合艦隊が、

機動性と兵員の練度の高さに裏打ちされた
速射砲を主体とした攻撃を展開し、
北洋艦隊を撃破、制海権を握りました。

黄海海戦.png

この戦いでは、日本人の武士道精神と、
艦の乗員同士や艦隊、そして国そのものまでを
家族のように捉え、
己を捨てても他者を守るという日本人の考え方と、

聯合艦隊司令長官伊東祐亨 .png

上官と部下は支配者と被支配者という関係にあるものの、
自らの生死が係る局面では、
平気で命令を無視し、
場合によっては反乱さえ引き起こすという
支那人の考え方に、

清国北洋艦隊提督丁汝昌.png

民俗性の違いを見出すとともに、
テクニカルな部分を超えた
戦いの帰趨を左右する本質を窺うことができます。

「明治27・28戦役」と言われた日清戦争から120年余り、
再び戦火を交えることは望みませんが、

万が一の時には、
直接の現場だけでなく
諸事にわたって
先人たちが残してくれた戦訓を生かし、
事にあたりたいものです。


*****


スポンサーリンク


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。