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歪みきった歴史観 民族特有の恨み節 あきれた朝鮮日報 [南朝鮮]


朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)

朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)

  • 作者: 新城 道彦
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/03/24
  • メディア: 新書


~朝鮮日報~

【コラム】誇らしい歴史、恥ずかしい史料

<誇らしい歴史って何のこと?>

帝国主義時代の日本と左派が発掘した恥ずかしい史料が山ほどある
これらを取り除かなければ誇らしい歴史は空念仏に終わるだろう

【コラム】誇らしい歴史、恥ずかしい史料

  先日、東京都内の書店で「朝鮮王公族-帝国日本の準皇族」という本を見つけた。本の帯には「帝国日本への歪んだ忠誠」という文字と共に写真があった。日本の軍服を着て、日本の皇族の列の端に立つ朝鮮王族3人の姿だ。高宗(朝鮮第26代国王、大韓帝国初代皇帝)の息子・英親王(李垠〈イ・ウン〉)と高宗の孫の李ゴン(イ・ゴン)、李ウ(イ・ウ)が靖国神社で祭祀(さいし)を行う姿だという。この本は、日本による植民地支配時代以降における朝鮮王族26人の人生の流転を取り上げたものだ。ただの嫌韓本だろうと思いながら数ページ読んだところ、多くのの史料に基づき綿密に書かれた本だということが分かった。不愉快ではあったが<感情入れるか?>、そのまま置いていくことはできなかった。



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  その前日に東京都千代田区の赤坂プリンスホテル再建現場を見学したのも、この本が手放せない理由だった。2005年にこのホテルのシングルルームで英親王の一人息子、李玖(イ・グ)が死亡しているのが発見された。国が独立状態を保っていれば、皇帝になっていた人物だった。東京特派員をしていた当時、その寂しい最期を取材したが、李玖が亡くなっていた赤坂プリンスホテルは、かつて日王<そもそも勝手に呼称をつくるな 国際儀礼上もおかしい表現です>(天皇の韓国での呼称)が与え、父・英親王の東京都内の邸宅「旧李王家邸」があった所でもあるという。朝鮮王の孫だった李玖は生まれた場所で死んだのだ。その数年後、ホテルが取り壊され、建て替えられる際に旧李王家邸も消えるかと思われた。ところが、今回行ってみたところ、その近くに文化財として保存されていた。大金を投じて5000トンもある建物を丸ごと移設したそうだ。<だから何なんだ?>

この本は、「旧李王家邸」のように私たち韓国人が忘れたいと思っていることを思い起こさせた。亡国以降、純宗(朝鮮第27代国王、大韓帝国第2代皇帝)の専属料理人として日本の帝国ホテル初代料理長が赴任したこと。純宗はその専属料理人が作ったフランス料理と日本が送ってくれた優良な乳牛の新鮮な牛乳が好きだったこと。英親王は趣味の蘭栽培が専門家レベルに達していたこと。戦争のさなかでも日本の景勝地で登山やスキーを楽しんでいたこと。伊藤博文が使っていた別荘を譲り受けた代価として、伊藤博文の遺族に当時大金だった12万円を支払ったこと…。この本を読みながら日本の緻密(ちみつ)さに驚いた。植民地時代の朝鮮王族の全体像を書いた「王公族録」、高宗の記録を別に書いた「李太王実録」はもちろん、高宗の実兄の行動を記録した「李熹(イ・ヒ)公実録」、甥(おい)の行動を記録した「李埈(イ・ジュン)公実録」まで編さんしたという。王族が平和に暮らしているから、民も反抗せずにおとなしくしていろという意図だったのだろうか。史料の中には日本が歪曲(わいきょく)・ねつ造した記述もあるだろう<憶測で語るな だからダメなのよ>しかし、韓国人が歪曲やねつ造を立証できなければ、その記録は最終的に歴史として残る。<ロクに史料も残してないのに無理でしょう>

  この本を読んでいて一番胸が痛んだのはそうした点だった。朝鮮が亡びた後だったが、日本は高宗実録や純宗実録を8年かけて製作した。朝鮮の現在はもちろん、過去についても日本帝国史の一環にしようという意図だったのだ。編さんを指揮した人物も日本の学者だった。植民地支配からの解放(日本の終戦)後、韓国人たちは2つの実録を朝鮮王朝実録の一部として認めなかった。日本が書いた歴史を認めたくなかったからだ。そこで著者は主張する。「それならば韓国はなぜ、自ら実録を作らないのか」と。日本がしたこと延々と否定しながら、解放後に新たな史料を発掘して正統性のある実録を作らなかった韓国は理解しがたい<嘘つけ それが民俗性だと十分理解しているでしょう  ケンチャナヨ とか言うのでしょ>ということだ。もちろん、1960年代に国史編さん委員会が不十分ながら「高宗時代史」を編さんしたので反論がないわけではない。君主国家でもないのに、過去の王朝の実録編さんが法的に可能なのかという疑問もある。しかし、韓国人でなければ誰も朝鮮王朝実録の空白を埋めてはくれない。<そもそも日本が編纂した実録を読んだのかな? 読んでから なぜ編纂されたか考えてみるべきと思うがなぁ?>

 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は「誇らしい歴史<どこにあるの?>を正しく教えるべきだ」と言う。当然、韓国の歴史は誇らしい<根拠もなく言い切った>。だが、誇らしい歴史を書くには、まず誇らしい史料<ここがおかしい 史料は史料>を発掘しなければならない。現代史も同じだ。故・金泳三(キム・ヨンサム)大統領在任時に始まった「歴史の立て直し」は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を経て韓国現代史全体に影響を及ぼした。しかし、だからといって今の政府のように歴史を解釈の見直しをすべきだと食ってかかっているわけではない。まず、史料発掘に人材や資金を投じた。盧武鉉政権時に活動が始まった「真実・和解委員会」の場合、投入された人材は230人、予算は759億ウォン(現在のレートで約81億円)に達した。同委員会がまとめた資料を見ると、解放後の韓国は暗黒の国<日本統治時代を除き 李朝朝鮮以降はず~~っと暗黒>だった。もちろん恥ずかしい歴史も韓国史の一部だ。史料発掘を通じて悔しさを晴らした国民も多い。しかし、歪曲された部分もあった。朴大統領があれほど憤慨する教科書の左派寄りの主張は、多くの部分でそうした史料に基づいている。帝国主義時代の日本の史料を克服できずに誇りを持って韓国近代史を書くことができないのと同様、左派寄りの史料を克服できずに誇りを持って現代史を書くことはできない。苦労して書いたとしても、権力の流れと共に消えるだろう。

  朴大統領は、学者たちが「誇らしい史料」を発掘できるよう、これまでのどのような支援をし、どのような成果を得てきただろうか。帝国主義時代の日本や過去の政権が総力を挙げ山のように積み上げてきた恥ずかしい史料を、どのように取り除いてきたのか。歴史は解釈の見直しだけで新たに書けるものではない。<恥かしい 恥かしい 哀れなお話でした 合掌>

 鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員



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 この著作について 歴史学者の加藤陽子氏が

 毎日新聞に書評を寄せていました



 ~毎日新聞~

 

今週の本棚:加藤陽子・評
『朝鮮王公族−帝国日本の準皇族』=新城道彦・著


◇日本の屈折姿勢 背景に列強への警戒心

 今年は戦後七〇年の節目にあたるので、安倍首相が夏に発表する歴史談話の中身に注目が集まっている。今月初めには、欧米で活動する日本研究者一八七名が声明を発表し、戦後日本の平和の歩みは全世界からの祝福に値するものの、いわゆる「慰安婦」をめぐる歴史問題では、日本と東アジア諸国間に火種が残されているとした。

 著者は、これら現実世界から距離をとり、四年前から施行された公文書管理法によって劇的に利用が進んだ宮内庁宮内公文書館所蔵の韓国併合関係書類等の新史料を丹念に読み込み、斬新な視角で本書を描いた。

 この本は、宗主国対植民地といった枠組みをとらない。それらはすでに多く書かれ、世に存在する良書に譲るとばかりに著者は、一九一〇年になされた日本の韓国併合という事象を別の角度から捉える。

 すなわち、天皇を戴(いただ)く大日本帝国という一つの帝国が、皇帝を戴く大韓帝国(一八九七年から国号を大韓とする)という一つの帝国を併呑(へいどん)したこと、これを併合の肝と見なしたのである。

 併合直前、寺内正毅率いる現地の統監府側と東京の内閣側との火急の交信は、韓国皇帝・帝室の処遇をめぐってなされた。内閣側が用意した「大公」ではなく、韓国側の要求する「王」の呼称を採用すべきだとした寺内の論が勝をしめる経緯が、史料から鮮やかに導かれる。

 事実、併合条約と明治天皇の詔書とによって、韓国帝室に尊称と名誉と歳費を与える旨を日本は確約した。皇帝であった純宗、その父の高宗太皇帝、皇太子の李垠(イウン)などの帝室嫡流を王族とし、皇帝の弟などの傍系を公族とし、本書のタイトルでもある朝鮮王公族という呼称を韓国帝室に与えている。王公族は日本の皇族と同じ礼遇を受け、天皇家に次ぐ一五〇万円の歳費をも受けた。当時の日本の各宮家の皇族費が四万〜一〇万であったことを考えればその額の大きさがわかるだろう。

 なぜ日本の当局は、大韓帝国皇室を「厚遇」しようとしたのか。このように問う著者の頭には、一八七九年の琉球処分の際、日本が琉球王を華族とした対照例が浮かんでいるのだろう。華族といえば聞こえはよいが、皇族との対比では臣民の側に分類される。あるいはまた、著者の頭には、一八九八年のハワイ併合の際、アメリカがハワイ王を市民に落とした例なども浮かんでいるのだろう。

 ここまで読んでこられた方のなかには、日本の安全保障上の都合によってなされた併合であれば、この程度の「厚遇」は当然だと思われた方もいるかもしれない。だが著者の問いに意義があるのは、このように問うことで、当時の日本の置かれていた歴史的な環境が浮き彫りになるからである。

 著者はいう。「併合を国際的な『合意』として実現するために、条約締結権を持つ皇帝やその一族を懐柔しなければならなかった」のだと。日露戦勝によって韓国を保護国化した日本だったが、併合後に武力闘争や暴動が起これば、隣接する満州(中国東北部)の問題にもからみ、列強からの干渉を招きかねなかった。条約を締結する主体だったからこそ韓国帝室を厚遇した日本の屈折した姿勢には、西欧近代の主権国家体制のルールに従順であって初めて独立を許されてきた日本の過去が色濃く投影されていた。

 本書の後半では、がらりと趣向を変え、帝国日本のなかで家の維持に苦悩した朝鮮王公族の個々の姿を描く。そこに展開される、人間的な、あまりに人間的なドラマは、読み手を魅了してやまないはずだ。


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いつの時代も

我が国にとっての半島とは

外交上の不安定要素みたいです



米軍には長く居座っていただくことで

我が国に妙な負担が生じないような方策を

打つべきなのでしょうか

漁夫の利.png


わ.png



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タグ:特亜
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